今日は登山。 4時起床で4時20分出発。 夕べは22時前には寝たので、起きるときはあまり眠くなかった。
今日は久々の愛媛登山。 東赤石山に行く。 高速代をけちって一般道で。
6時15分くらいに、筏津山荘に到着。 登山口の前には車が一台止まっている。 こんな早くから登っているのかな?
まだ真っ暗なので、車の中で少し仮眠。 今日も布団を忘れ、エンジンかけっぱなしにしてしまった……
準備をして7時半に出発。 筏津登山口から登り始める。 冬季の東赤石山は、2年前の暖冬の年に、西赤石山から縦走したのだけだな。 今日は上の方は雪が楽しめそう。 もし余裕があれば、西赤石山まで行ってもよいかもしれない。
そんなことを考えながら登っていく。 瀬場ルートと合流し、八面滝方面に向かって歩いていく。 分岐点からすぐのところで、前方から登山者が。 まだ8時前だけど、もう降りてきたのかな?
挨拶したら「同僚が途中で待機してるんで、よかったら食料分けてあげてくれませんか?」とのこと。 ん??
詳しく話を聞くと、昨日から登り始めたが、アクシデントがあり、昨日のうちに下山できなかった。 山で夜を越し、明るくなったのでレスキューを呼びに一人で降りてきたらしい。
現場はどこか聞いたら、瀬場谷から、右ルートを進み、渡渉地点とのこと。
いつもは左ルートから登るし、今日も左ルートから登ろうと思っていたが、そういう状況らしいので、右ルートから登ろうか。
歩いていたらすぐに救急車か消防車のサイレンの音が響き始めた。
瀬場谷分岐辺りまできたら、雪が多少積もっている。 微妙な積雪なので、けっこく滑るな。 瀬場谷分岐では休憩せず、そのまま進むことに。 渡渉地点は、そんなに遠くなかったはず。
一度水分補給をし、渡渉地点まで到着。
沢の反対側に、レインコートを着て倒れ込んでいる人がいるではないか。
すぐに近づいて声をかける。 意識はしっかりあるみたい。
とりあえず、おにぎりを渡し食べるように言った。 が、遠慮しているみたいで断り続けていた。 夕べからこんな状況らしいので、食欲がないだけなのかもしれないけど、無理矢理持たせた。
で、ガスストーブを取り出し、水分として使用している、お茶を沸かす。
温かいお茶を何杯か飲ませた。 と、山頂で着ようと思ってたダウンを持ってきてあったので、それを下半身にかけさせる。 相当冷えてるみたい。 お茶を飲みながらブルブル震えていた。
で、どんな状況だったのかを聞いた。
2人パーティで朝、8時半くらいから登り始め、山頂まで行き、13時くらいに下山を始める。 14時くらいに、雪に埋もれた木の根っこに足を取られ、靭帯を痛める。 それが原因で歩行できなくなった。 それでも滑るように下山するが、17時過ぎには暗くなり、ライトを持っていなかったため、携帯の明かりを頼りに下山する。 が、渡渉ポイントがあり万事休す。 しかも途中でメガネを紛失しているらしい。
運悪く、この場所は携帯の電波が入らなかったので、そのまま朝まで耐える。 で、明るくなり動ける、もう一人が下山をする。 途中でレスキューに救助要請し、オレとすれ違い、今に至る。
しかしよく一晩耐えたな…… 手の指はしもやけ見たいにはなっててむくんでいたけど、字を書ける程度の間隔はあり、凍傷は大丈夫っぽい。
が、足がやばそう。 ずっと動かしてないので血流が悪くなってるのに加え、スパッツを持っていないため、雪の登山で、靴下まで濡れているらしい…… その辺については、今触れるべき話題でもないので、それだけにしておいた……
とりあえず意識を保たせるために会話したり、お茶を飲ませたり。
しばらくするとヘリの音が聞こえてきた。 低空を飛行し、どうやら遭難場所を探しているよう。 とりあえず見晴らしのいい場所まで出て、ヘリに向かって手を振ったり、目立つ赤いざぶとんを振ったりしたが気付いてもらえず。 太陽光を反射させるにも、太陽はほとんど出ておらず。 のろしを上げようかと思い、枯葉を集め、トイレットペーパーに火を付けるが、枯葉は雪で湿っており火がつかず。
しばらくすると、ヘリコプターは別のほうに行ってしまった。
またすぐにヘリコプターがやってきた。 もう一度気付いてもらえるように赤い座布団を振り続けた。 しばらくしてヘリのドアから見ていた人たちが気付いたらしく、腕で大きく丸を作っていた。 しばらくヘリはあたりを旋回。 人を釣り降ろせそうな場所を探しているのだろうか。
ちょうどこの辺りは携帯の電波が通じた。
遭難者の人の携帯電話は先に下山した人が持っているようなので、遭難者の携帯に電話してみた。 が、出ず…… 下から救助隊が上がってくるのだろうか。
現場に到着してから、1時間20分くらい、救助隊が到着した。 と同時に、ヘリコプターが戻ってきた。 救助隊が到着するタイミングを待っていたのだろうか。
救助隊は手際よく遭難者にいろいろ聞いていた。 で、この場所では担架に乗せられないので、足を固定し4人がかりで遭難者を抱えて、渡渉。 沢を渡ったところで担架に乗せる。 遭難者の荷物は救助隊が持って降りてくれるらしい。 てっきり、荷物はここに置いていかれるのかと思っていた。
救助隊の人に「これからどうします?」と聞かれた。 もうこんな時間だし、お茶を温めすぎて、あと1Lくらいしか残ってないし、長い時間待機していたので体が冷えてしまったし、なにより気分が登山気分ではなくなってしまったので、今日の登山はやめて下山することに。
「では一緒に降りましょう」と救助隊の人が。
渡渉地点からすぐのところに、2m程度の木のはしごがある。 ここを降ろすのに苦労していた。 で、道が細いので、慎重に担架を持って歩いている。
10分ほど歩き、ここから遭難者をヘリまで吊り上げるらしい。 場が狭いので担架のまま吊り上げるのは無理らしい。 ヘリの隊員と、遭難者の体が固定される。
で、救助隊の人たちがみんなしゃがみ込み、ゴーグルをつける。
何事かと思い、オレもしゃがむ。 ヘリが真上まで来た。 ものすごいダウンフォース。 木が倒れそうなくらい揺れている。 そして、雪や落ち葉や砂がものすごい飛んでくる。 だからしゃがんでゴーグルつけたのか。
ヘリからワイヤーが降ろされ、ヘリの隊員と遭難者はヘリに吊り上げられていった。 ヘリは2名を収容し、病院に飛んでいった。
収容が終わり、救助隊の隊長から「ここは狭いので、少し降りて広い場所で装備の回収と休憩をしよう」と。
そのまま瀬場谷分岐まで降りてきて、ここで装備の回収と休憩を。 毛布や担架やロープが手際よくしまわれていく。 休憩中はタバコもOKらしい。 ミネラルウォーター飲んだり、おしゃべりしたり、このあたりは普通の休憩なんだね。
ここから筏津までは普通に下山。 下山しながら消防士と話しながら降りてきた。
いろいろな話を聞けた。
愛媛に限ったことで言えば、怪我で動けなくなったとかの救助要請は年に5件程度はあるらしい。 遭難者の居場所もわからないような大規模な捜索は3~5年に1度くらいはあるらしい。 前にちち山で遭難した事故のときは、大永山トンネルから雨の中、16時くらいに山に入り、捜索に9時間もかかり、降りてきたのが早朝だったと。
救助隊と言っても、長野とかに「山岳警備隊」みたいなのがあるわけではなく、職業は「消防士」。 本業は火災の消化活動など。 山岳救助の訓練は、年に一度、高知県の消防と合同で、二ツ岳の「鯛の頭」付近でやっているらしい。 ヘリも訓練に参加し、吊り上げとかをやるらしい。 やはりあのような岩場で訓練するのか。 どこでも訓練できるわけではなく、あの場所が「訓練地」として登録されているらしい。
また、今日来たヘリは、高知の「りょうま」というヘリ。 高知空港からきたらしい。 愛媛のヘリもあるのだけど、今は整備中で飛べなかった。 ただ、松山から来るので、距離的には高知から来てもほとんど変わらない、と。
この辺の横のつながりはしっかりしているんだな、と感心。
東赤石山はメジャーな山でルートもしっかりしてるけど、マイナーでルートも不明瞭なところでの事故の場合はどうするのか?、と質問したら、現地に詳しい人に道案内をしてもらうと。 消防にそういう人材がいるわけではなく、一般人に協力要請と言う形らしい。
今日事故が起こったのは、登山口から1時間半程度の場所だったけど、事故が起こった場所が山頂付近でも、今日のように下から登ってくるのか?、という問いには、今日のようにヘリが直接収容できない場合もあるので、どのような場所でも下からは必ず行きます、と。 基本的には今の装備で望むらしい。
消防の装備は、上は消火活動のときにも着る服。 下は紺色のズボン一枚しか履いてないらしい。 「寒くないですか?」と聞いたら、上はしっかりしたものなので、寒くないと。 下は1枚なので寒いと。 靴はスネくらいまである安全靴のような長靴を履いていた。 ヘルメットと手袋は装着しているが、耳が出ているので、耳が赤くなっている隊員もいた。 耳に関しては相当寒そうだ……
普段話すことのない人たちと話ができ、とてもためになったし、仕事でこんな過酷なことをやっていることに感謝した。
1時間もかからず筏津登山口まで到着。 登山口には、朝すれ違った人と、救急車が2台、消防車が1台、レスキュー車が1台、小さな消防車が1台止まっていた。 結構な台数だな。 山に入ったレスキュー隊は13名。 救急隊員は下で待機していたっぽいので、20人くらいきたのだろうか。 ヘリには下降隊員2名がいるのは見えた。 パイロットもいるので、最低3名か。
今回の事故の場合、雪に埋もれて見えなかったのは仕方ないけど、明らかに装備不足に思えた。 雪の時期なのにスパッツがない、ライトを持っていない、というのは致命的。 怪我はどうしようもなかったとして、ライトがあればもう少し状況は変わったかもしれない。
遭難現場に遭遇したのは、今まで長いこと山に登っているけど、初めて。
そしていろいろと課題が見えてきた。
まずどうすればいいのかがわからない。 声をかけ、ダウンジャケットを渡し、温かいものを飲ませるくらいしかできなかった。
そもそも温かいものを飲ませてよかったのだろうか? 食料を食べさせてよかったのだろうか?
今回のようなケースでは、怪我をしてないほうの足の靴は脱がせたほうがよかったのだろうか? 靴下が濡れていると言っていた。 脱がせたところで、素足で露出させておくわけにも行かないし、リュックの中にいれればいいのか? それとも脱がせないほうがよいのか?
結果的には気付いてもらえたけど、ヘリに自分の居場所を知らせるにはどうすればいいのか? 雪山でのろしを上げるにはどうすればいいのか? ヘリに発見されたあとは、ヘリから見えなくなる木陰に移動してもよいのか? その場にとどまっていたほうがよいのか?
登ることや降りること、登山に関する知識は一通り持っているつもりだったけど、事故に遭遇した場合はどうすればいいのか全くわからなかった。
覚えることはまだまだありそうだ。
本日のコースタイム
07:30 筏津山荘駐車場
07:35 筏津登山口
08:22 瀬場谷分岐
08:46 渡渉ポイント 遭難者発見
10:11 救助隊到着
10:45 ヘリに収容
10:58~11:08 瀬場谷分岐
11:50 筏津登山口
「国内」カテゴリーアーカイブ
内閣不信任案
昨日、内閣不信任案が提出され、今日採決がされた。 ちょうどお昼休憩の時間だったので、TVで生中継で見ていた。
民主党、小沢議員に近い「松木議員」が、周囲の議員数人に、しきりに何か話しかけられている。 松木議員の顔は暗い。
そして、投票が始まった。
嫌らしいことに、議員達の目の前で、一人ずつ名前を呼ばれ、賛成か反対かの札を渡していく。 誰が賛成して、誰が反対したのか一目瞭然。
松木議員は賛成、あいのりでおなじみの横粂議員も賛成。 民主党で賛成に入れたのはその2名のみ。
前日まで、鳩山グループと小沢グループは賛成に投票する、と言われていたが、当日の直前になって、反対に入れることに。
結果的に、内閣不信任案は否決。 衆議院解散も、内閣総辞職もしないでよくなった。
で、夜になって、管首相は「辞めない」と言いだして、党内は大騒ぎ。
鳩山前総理は「管はペテン師だ」と言い出す始末。
もうグダグダだね。
最大余震
23時32分ごろ、宮城県沖を震源とする最大震度6強、マグニチュード7.4の地震が起こった。 これも東日本大震災の余震とみられるらしい。 地震からすぐに津波警報と注意報が発令された。 宮城県での予想津波は、最大1m。 到達予想時刻は……すでに到達!? 地震からわずか5分。 すでに到達って… 幸い、こんかいは津波らしい津波はこなかったのだけど、前回のような津波の規模だったら、逃げる暇もないと思う。 東京のスタジオのカメラをライブで見ていたのだけど、地震の揺れ自体が1~2分くらい続いているように見えた。 となったら、揺れがおさまってから津波が到達するまで1、2分? 真夜中だからなおさら、もし昼間でもそんな短時間で避難は無理だろう。
阪神淡路大震災が、最大震度7、マグニチュード7.3。 今回は余震でそれに匹敵するくらいのものが襲いかかってきてる。
凄まじき自然の力。
地震報道の裏側
今日はメチャメチャ寒い。 昨日の暖かさが嘘のようだ。
ここ一週間、地震のニュース一色だったけど、地震のニュースに隠れたけっこう話題になるはずのニュースがたくさんあったはず。
3/11 地震の起こった日。 地震が起こる直前、石原都知事が都知事選に立候補することを表明した。
が、地震報道で、地震報道後、そのことをニュースで見ることは無かった。
3/12 九州新幹線全線開通。 一番列車や、新幹線の泊まる駅で、生放送で乗客のインタビューやレポートをする予定だったが、全て中止。 新聞の一面を飾るくらいのニュースなのに、真ん中の方にほんのわずかなスペースのみ掲載された。
3/13 新燃岳が中規模な噴火。 噴煙が4000mまで上がる。 千葉で鳥インフルエンザ発生。
3/14 大阪検察の前田被告が、罪状認否で認める。 伊藤リオン被告実刑。
全て、朝のニュースで10分以上枠が取られるくらいの内容なのに、今回の地震の影に隠れて、ほとんど報道されなかった。
今考えると、京大カンニング事件なのて、めちゃめちゃちっぽけな事件なのに、あんなに大きく取り上げられていたのがばかばかしい。
大地震2
TVニュースは地震一色。
明るくなって次々と悲惨な被災地の映像が流されている。
津波の瞬間をリアルタイムに捉えた映像も多数流れている。
津波、想像以上だった。 こんなにすごいのか、津波って。
地震単体の被害だったら、これほどダメージは受けなかっただろうに…
11時前から出かけて、妻が美容室に行っている間、子供たちの面倒を見ていた。
元高松サティ、現イオン高松東に行ってきた。 看板が変わっただけで、中は変わっていなかった…
それから、屋島の長崎の鼻へでも行こうかと思ったが、途中に超しょぼい広場があったのだが、そこで子供たちが遊びたいというので、遊ばせることに。
目の前にはトトロに出てきそうなバス停。 広場自体は広いのだけど、遊具はブランコ2つと、2.5mくらいのジャングルジムのみ。
そこで1時間ほど遊んで、妻と合流。
いったん車検に出していたパジェロミニを引き取りに行って帰宅。 すぐに三豊に向けて出発。 ナイスタウンかKomachiに載っているカフェに行きたいとの事。
が、カフェは意外にがっかりだった。 カフェなのに、甘酒があって、それを飲んだ。 カフェで甘酒って初めて見たな。
それから観音寺へ。 このカフェの系列店の雑貨屋があるのだが、そこの雑貨は凄かった。
タイ付近の雑貨がちらほらと、イスラム系の雑貨がちらほら。
ミイラの入ってそうな棺桶みたいややつがうってたり、アラビア世界で水がはいってそうな大きなツボが売っていたり……
雑貨は雑貨でもジャンルが違うな……
そして、ゆめタウン三豊に行って、国分寺でラーメン食べて帰宅。
大地震の影響で、福島第一原子力発電所の一号機で、水素爆発が起こっていた。 まぁ甚大な放射能漏れは無いみたいだけど、放射能と聞くだけで恐ろしい。
大地震
昼休憩のときに、ミヤネ屋を見ていた。 東京のスタジオに画面が切り替わって、ニュースを読むシーン。
画面が切り替わった瞬間、ニュースキャスターの女性が倒れているではないか。 すぐ横には、通常映らないはずの男性スタッフがしゃがみこんでいる。
ニュースキャスターが「すごい地震です」みたいなことを言っている。 すぐにTV局に地震情報が入ったらしく、「大変な地震がおこりました」のように発言している。
そこで、宮根さんが「大阪でも揺れていますよ、今揺れていますよ」と。
震度情報がTV局に伝わったようで、ニュースキャスターが読もうとしてるのに、「大阪も揺れてますよ」と、全然空気を読まない宮根さん。
「宮城で震度7、関東で震度6」のニュースを読んでるのに「大阪でも揺れてましたからねー」と相変わらず発言。
そのうち大阪のスタジオはシャットダウンされてしまった。
大津波警報がでたようで、普段聞いたこともないような避難指示がTVから流れていた。
「すぐに海から離れてください。 高い所に避難してください。 遊びに来て避難場所など分からない人は、地元の人に聞いてすぐに逃げてください」と、繰り返し発言されている。
そして、地震発生のわずか30分後くらい、日本TVの映像が、宮古港の生映像に切り替わった。 陸地に水が流れてきている。 水位30cmくらい。 工場にある水色のプラスチックの箱が大量に流されて車に衝突している。
画面が海の方に切り替わると、なんとトラックが流されているではないか。 また、先ほどの港に画面が戻ると、30cmほどだった水位がわずか1~2分の間に3mくらいになっている。 止めてあった車は全て流されていっている。
津波ってこんなに早く到達するのか……
それから仕事に戻ったが、仕事よりも地震が気になって仕方がない。
家に帰ってきたら、ニュースは全て地震特番一色。 津波の被害は甚大なよう。 ただ、詳細な映像がまだ放送されていない。
23時くらいになって、NHKで自衛隊が撮影した、気仙沼市の映像が流れていた。 真っ暗なのだが、辺り一面火の海。 空襲を受けたような映像だ……
遠く離れた千葉でもJFEの燃料タンクから出火したと報道されていた。
どうなるんだ? この地震。
尖閣衝突ビデオ流出
朝のニュースを見ていたら、ものすごいニュースが流れていた。
「尖閣諸島での中国漁船衝突ビデオがYoutube」に流出、という内容。
ニュースはそのことで持ち切りだった。 現在はYoutubeに上がっていたものは削除された様子だけど、コピー&再アップロードが大量にされており閲覧することは容易。
TVでも衝突の瞬間の映像などを映して解説していた。
つい先日、衆議院の予算委員会で、編集された6分間だけの映像が、ようやく解禁された。 しかしYoutubeに上がったのは44分の映像。
海上保安庁か、検察局の関係者しか原本の映像は閲覧することが出来ないらしい。
しかしこの映像を見ると、なぜ船長を釈放したのか疑問しか残らない。 明らかに故意にぶつけてきているし。
しかも現政府はこの映像を表に出したがらなかった。
これも支持率低迷に拍車をかけるだろう。 3年後、どうなるのだろうか?
食道がん
ニュースで衝撃の報道があった。 なんと、サザンオールスターズの桑田佳祐が、食道がんとのこと。
幸いにも初期の食道がんと報道されていたけど、本当に初期なのだろうか? 転移してないのだろうか? 完治するのだろうか?
忌野清志郎も同じ経緯で亡くなってしまった過去があるので、とても心配だ。